イザベラ・バードの日本紀行(下)

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上巻は日光から会津、津川を経て新潟そして北海道に向かうところで終わったが、下巻は北海道の隅々までかいてあり、およそ現代の日本人が伝えられていないことを外国人が感じたことを直球で表現するというないよう。アイヌの生活および本土の人(民間も役人も)がどのように扱っていたかがよくわかる。

欧米人から見ると明らかに骨格が違うということをはっきりかいています。また日本人と違って大酒を呑んでも乱れない(スコットランド人と同じくらい大酒飲み)というのは意外ですね。

また日本の行政に関して道路や鉄道で連携するという概念が乏しいのが、この時代の人間からでも良く伝わってくる。そして車文明というのがそもそもなかったことがよくわかる。横浜や神戸でも馬車道があるが、馬車を殆ど見ないということ。つまり馬車が走ることができるような広い道がなかったと言うこと。

舗装資材を販売している会社の人間として、道路に対する考え方(早く繋ぐということ)が戦略的でないと思っていたが、これは歴史的な文化ですね。荷車はあっても馬車の車は作っていない。荷車を馬に引かせて人が乗ったら、ゴツゴツして耐えられなかったでしょう。衝撃を吸収するバネなどの技術がなかったのでしょう。それは日本車と欧州車の乗り心地を検証しても現在まで繋がっていることです。

欧州では古代ギリシャの時代からあるんですからね。また朝鮮半島ではこの荷車さえ李氏朝鮮の時代にはなかったようです。昔の絵や写真を見ても台の上に載せて人を運んだり、荷物も一輪車のような車しか出てきませんね。これは曲げて丸くする文化がなかったとのこと。

最終的にイザベラバードは東京に戻って横浜から船で神戸へ。これは開港5港しか立ち寄れなかったということでしょうか。

神戸に着いてからは京都に行ったり奈良からお伊勢参りをしたこともかいてあります。

イザベラバードの日本紀行の描写は日記なのか調査なのかと思ってしまいます。これと同じ事を感じたのが、江戸時代長崎出島のオランダ館長が江戸まで将軍に拝謁にいくときにかいた報告書。日記のようで当時の江戸時代の様子がイザベラバードの日本紀行のようにとてもよくわかります。

これと比べて日本の書物はこのような描写はしていないんでしょうね。